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再びのカンボジア。


日本を出発した時点でだれがカンボジアという小国に
2度も足を踏み入れると想像しただろうか。


アンコールワットに感動を覚えたわけではなく、

観光地としてもう一度行きたいと駆り立てられるわけでもなく。


それでもボクらは来てしまったのだ。カンボジアに。




2度目のカンボジアに「帰った」ボクら。

久しぶりに会った日本人の学校メンバーは
肌が黒くなっていたり、髪が伸びていたり、足に怪我が増えていたり。


それでも以前の活気はそのままで懐かしく思った。




学校建設地、トロペアン・ルサイ。

ルサイまでの道も、村の中の道も、

子供達の名前も覚えていた。



覚えていたクメール語で

「ススダーイ」と懐かしく思いながら挨拶をすると、

あの時と同じ元気な声で、子供達が答えてくれた。





牛の糞をよけながら、村の泥で出来た道を歩いたら

毎日通った学校の建設予定地に着く。


ボクらがカンボジアを後にした2ヶ月前は

牛と泥と田んぼと雲しかなかった。

ましてや建物の外壁なんかなく、

あったのは必死で運んだ土が溜まったただの土地だった。



それから月日が経って、

たくさんのボランティアの人たちの

たくさんの努力と

たくさんの熱意と

たくさんの笑顔のおかげで


今、ボクの前に「学校」ができた。




僕の知っている土の溜まり場のような風景ではなく、

紛れもない学校があった。



初めて見る学校。

緑の屋根が子供達を雨から守り

レンガの壁が風から守ってくれる。


釘が飛び出た内装も、

間違えて何度も書き直した塗装もある。

完璧ではないと言う人もいるかもしれない。


だけど少なくともボクらには


最高の学校が出来ていた。





子供達も、ルサイ村に沢山の日本人がきたであろうに

「リョーーー」と覚えててくれて

背中を叩かれ、ムキになって追い掛け回す。


前に来たときよりももっともっと子供達が増えていた。







2010年10月1日。


ボクらの学校が、ルサイの学校になった日


始業式。


子供達はみんな白いシャツを着て学校に来ていた。

いつもの泥だらけの服から比べると

みんなの顔が凛々しくみえた。


ボクたちが手伝った学校の机に200人以上の子供達が座り、

いつもヤンチャだった子も真剣な顔で先生の話を聞いていた。






始業式の数日前、子供達に将来の夢を書いてもらった。


笑顔がカッコイイあの子は医者になりたいと言い、

クルクルパーマのあの子は先生になりたいと言い、

イケメンのあの子は通訳になりたいと言った。





学校はボクたちの夢も叶えてもらった。


子供達の夢もボクらが関わった学校を通して叶えてほしいな。






数年後、あの地を訪れたとき、

みんな思春期になって、昔のように接してくれないかもしれない。

名前も顔も忘れられちゃうかもしれない。


それでも子供達は

「日本人が造った学校を卒業したんだ」って覚えててくれるはず。



十分。


それだけで十分だ。





ルサイの学校にいた少しの間、

暴れまわる怪獣たちに教えを試みたことがある。

テーマは「人にやさしく」。


クマエも出来ず、英語も通じずで
全く通じていなかったかもしれない。
だけど、少しはわかりあえたと思ってる。



ボクの座右の銘は
「思いやりのある生徒」。

これは初めて目にした小学校時代の校訓から変わってはいない。


いつでも思いやりを持って、
いつでも勉強させてもらうという生徒の目。

これを忘れないように銘とした。





このプロジェクトに参加して、ほんとに沢山学んだな。

子供達から学ぶことも多かった。



子供達からみれば大人のボクらは先生のようだけど、

実際に教えてくれたのは、

子供達と、カンボジアという国だったんだなと思う。







これから先、旅をしていくと、

旅人通しで必ず交わす言葉がある。

「君はどこの国がいちばんよかった?」と。



ボクの答えは・・・





迷わず答えるだろう。







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