ちょっと PHOT
十字架を背負うイエス
 正統派の人。もみ上げをのばし、
頭に帽子をかぶっている。
帽子がカワイイ・・・
 ユダヤ教徒にとって
祈りを捧げるのに最も重要な
「嘆きの壁」で嘆くユダヤ教徒。
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バスの窓から見る景色が
砂と岩山から草木の茂る街へと変わった。

日が沈むと丘の上を走るバスから
夜景が見える。

そんな国に来たんだ。

ずいぶん北上してきたこともあって、夜は冷え込む。
物価も一気に上がって、ボクの財布も一層冷え込んだ。




イスラエルの南端、エイラットからバスで首都テルアビブを経由して
エルサレムへ。



エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教にとって
聖地とされている街だ。
旧市街と新市街に分かれていて旧市街を一日かけて歩いてまわった。


旧市街はかつての石造りの街を残していて
今までの国と全く違う。

街の中に牛がいなければ、「ハッパ?」と越えかけてくる人もいない。


アジアでもアフリカでもない。

かといって道端にゴミが捨てられてたりと、ヨーロッパともなにか違う。


中東。

ついにここまで来たんだなと改めて思い知り、感慨深くなってしまった。








キリスト教のイエスはゴルゴダの丘で命を落とした。
そのイエスが十字架を背負って歩んだ道が
エルサレムの旧市街にあるヴィア・ドロローサだ。


ヴィア・ドロローサは「悲しみの道」と呼ばれ、
罪人の汚名をきさせられたイエス、
それを見る母マリアと沿道で見守る人々の思いを表した名だという。


坂道の多いエルサレムの旧市街を、
重い十字架を背負って約1kmも歩いたとされるイエス。

ボクらも順をおって歩いていると、
聖歌を歌いながらボクらと同じように歩いている人々がいた。
各国の信者達が国を越えてひとつになっているように思えた。



ヴィア・ドロローサの最後、キリストが亡くなったとされる聖墳墓教会には
イエスが墓に納められたとされる場所がある。


イエスが、何百年も前にこの場にいたのだと思うと、
アイドルや芸能人が通う店なんか比較にならない。
その場所に立てた。そのことに素直にスゴイ!と思えた。


肉体を離れて天へと登るイエスは、どんな気持ちで見ていたのだろう。
今もなお、みんなの心にいる。その時もわかっていたのだろうか。




聖墳墓教会を見たあと、教会の前に座って人々を見てみると
悲しみの道を通ってきた人々の顔は
悲しみどころか、どこかスッキリとした表情に見えた。


彼等の顔をみていると
これはイエスの死を悲しむのではなく、
イエスを近くに感じているからなのかなと思えた。









ボクは旅をしている。
しかしアジアを抜けて、どこか正直物足りなさを感じていた

違う国に退屈しているのではなく、
刺激に鈍感になってきたというわけでもない。

アジアはボクを熱くさせてくれた。
もちろん気温も暑いのだが、そういうことじゃない。

心の芯から沸くような、そんな感じだ。


感じるアジア。
考える中東。
見るヨーロッパ。


感じていたい。それが一番面白い気がする。



ただ考えるだけではなく、
ただ見るだけで終わらせたくない。


この先の旅、ガイドラインがみえた気がする。



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